このご時世になんですが九月に申し込んでおいた十兵衛巡りツアー行ってきました。
バス2台分乗、私が乗った方は合計10人。超の超のソーシャルディスタンス。それでもこのご時世にこんな「マニア向け」ツアーにこれだけ人が集まるんだなと驚いたり。
桶狭間から始まって岐阜城、丹波亀山城、福知山城、本能寺、勝竜寺城、そして最期の地の「明智藪」。
でもね・・・
全部レプリカか公園になってて残ってるの石垣だけとかなんですよね・・丹波亀山城なんてわけわかんない宗教が持ってて途中までしか入れないし。
以前、レプリカで無いお城は全国に8つのみ、それも全て江戸時代以降と聞いて絶望したんだけどほんと日本って・・・歴史は古いのに。
まあ現代まで残っても震災や火災、空襲で失われた可能性はあるけど。
それでもやはり行けば発見はあり、城郭に詳しいガイドさんが3日間つきっきりで説明してくださり、勉強になりました。
戦国時代の石垣はやっぱり違うんだ!!とか妙に納得。灯篭の石が普通に埋め込まれているのにはびっくりしたが・・・安土城の階段にはお地蔵さんまで使ってるしね(汗)
あの頃はそれが普通で、光秀が城を作る時も麓の住民たちが持ってきたらしいですし。
坂本城が小天守と大天守のある、かなり壮麗なお城だったと最近わかってきたらしくて、CG写真なども見せていただきました。琵琶湖の水が少し干上がると、湖に張り出して作られていた石垣の片鱗が見えるとかで、今回はとりあえず2個は確認できた(汗)
真ん中の写真は終焉の地の「明智藪」。
ガイドさん曰くちょっと前に来た時はまだ本当に藪だったのに伐採されちゃって風景が変わってたとか。
電信柱に当たり前だけど地名の「小栗栖」が書いてあり、こんな所で無念の最期を遂げたのかと思うと.°(ಗдಗ。)°.
生存説もあったりはしますけど・・・猿に差し出された首は皮が剥がされていて、本当に彼なのかわからなかったって話だし。
京都に泊まったけど夜到着で朝出発、ホテルは四条とは名ばかりの端っこでどこにも行けず、行きたい所死ぬほどあるのにー本能寺だけか・・・とバスの窓から市内を眺めていました。
本能寺はやたら火災にあったので「能」の右側の「ヒ」二つを「去」に変えたとか。
しかも最初の寺の跡地は現在消防署!なんだか・・・すごい。
どこの観光課や地元もどうやら「オタクや女子向けコンテンツの集客力」が侮れないことに気がついたようですね。御多分に洩れず岐阜城や福知山城も写真下列のようなものが普通においてあったり貼ってあったりして女子がキャッキャしてました。
天気は三日ともドピーカンで渋滞にも巻き込まれず、どこも人は少なく、バスは快適な安全運転でその意味では最高な旅行でした。
ほとんど関係無い桶狭間から入り、最後もこれまた十兵衛に全く関係のない関ヶ原で締めくくられたツアーだったんですがw、すっかり垢抜けた?関ヶ原のことはまた後日。
とりあえずリアルタイムに行けたしコロナは貰ってこなかったってことで重畳重畳。
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